プライベートな時間を利用して、自閉症児・者と保護者の方と共有の時間を過ごすことができる機会が多くあります。先日も、とある場を通じて共有の時間を過ごすことができました。その中の会話の中で、私たちが行っている「支援」で今一度考え直さなければならない言葉がありました。

・私たちと自閉症の人々の「思考、理解の違い」を認識する。

・「自閉症の文化」を尊重する。

・本人理解。

・本人の興味、関心を活かす。

という内容の話が保護者の方から出ました。また、実際に当事者の方たちからはこのような言葉も、

《当事者の方たちより・・・》

「必要なのは『支援』よりも『理解』です。発達障がいの支援に携わる人たちには、

発達障がいのことを知る努力をしてほしい⇒支援はしてくれなくてもいいから理解をして

ほしい。理解ができないのなら支援はしないでほしい。」

という意見でした。

 このブログをご覧いただいている方は、社会の中で、様々な立ち位置の方、様々な立場の方がいると思います。ブログを見て感じることは、千差万別だと思います。「支援」を行う立場の中で、自閉症児・者の思いを受け止める事ができず、「支援に携わる側」の理由により行動してしまうことなど思い当たることはないでしょうか?私も、一日の支援を振り返ると、日々、「これでよかったのか?」と多く事を考えさせられます。「支援」や「療育」を進めていくと必ず行き詰まりは出てくると思います。そんな時に「なぜ?」という意識を持ち、問題を掘り下げていくと必然的に「文化の尊重」や「理解」が大切であることにたどり着くことを改めて感じます。「障がい」というが多くの場で取り上げられるようになりました。「理解」も少しずつ進んでいると思います。しかし、まだまだ、日々、支援者が、学ばなければならないこと、支援者が、理解しなければならないこと、また、社会の多くの人々にに理解を求めなければならないことなど多くあります。これまで以上にもっと多くの場所に足を運び、様々な立場の人々からの話や交流を持ち、「支援」・「療育」についての引き出しを今以上に増やしたいと思います。形だけの支援なのか、「療育」を見据えた・考えた支援なのか「支援に携わる側」の行動一つで、自閉症児・者の人生を大きく左右してしまうことに日々焦りを感じます。自閉症児・者と支援できる時間は、日々、限られていています。これからも限られた時間の中で「理解→支援」を見つめ直して行動しなければならないと改めて感じる日々です。